古代ヨーロッパの色彩
紀元前4世紀頃の古代ギリシャに、人類最初の色彩論が現れた。
プラトンやアリストテレスが、色彩とは何かということについて、彼らの考えを書き残している。彼らの色彩についての考察は、後世のヨーロッパの色彩文化に長い間にわたって影響を及ぼした。
ギリシャ文明を受け継いだ古代ローマ人は、多種多様な色彩表現材料を発見し、豊かな色彩語彙(ごい)と多彩な表情技術を発展させた。
色々な色大理石の細片を組み合わせたモザイク細工やポンペイ遺跡に残された彩色壁画などに、当時の色彩文化の水準の高さを見ることができる。
しかし、古代中国や古代インドでも多くの染料、顔料が発見され、使用されていたことが知られている。古代の世界では、諸民族が使用することが出来た天然染料、顔料の種類にはそれほど大きな違いはなかったといえるかもしれない。
それにもかかわらず、ヨーロッパとその他の地域の色彩に関する知識や表現技術などには時代と共に大きな違いが生まれたのはなぜだろうか。
ヨーロッパの色彩文化には、色彩をただ認識するだけでなく、その本質を理解しようとする知的欲求が生まれ、そこから生じた疑問をさらに追求していく問題解決の能力があった。その他の地域の人々の色の認識には、どうやらそれが欠けていたらしい。