「白雪姫⑤」「子どもたちが描く色とディズニーの色、、完結編」

例えば「眠れる森の美女」の中には、オーロラ姫が16歳で死ぬように呪いをかけた魔女から、何とか姫を守ろうとする3人の妖精たちの会話がある。

「どうしよう?」

「話し合ってみたら?」

「魔女と?」

「そんなに悪い人?」

「あの女、ヒキガエルにしてしまいたい」

「そうよ、大悪人よ」

「あーら、少し言い過ぎじゃあない?」

「魔女が知らないこと、出来ないこともあるわ」

「愛や親切や、人を助ける喜びね。あの人、本当は幸福じゃあないと思うわ、、、」

そう、、、幸福感を喪失した人間は人の幸福に耐えられず、挙句の果てに幸福を破壊するのだという人間心理をディズニーは魔女に託して「紫色」で象徴する。その「紫」は怒りを表す「赤」と、悲しみの「青」を混ぜ合わせたものに違いない。

そのせいか、魔女の最後はどこか物悲しい。「眠れる森の美女」で怒り狂う龍となってフィリップ王子を襲い、最後に真実の剣で殺される魔女も、「白雪姫」で小人たちに追われ断崖から転落する魔女も、一瞬の憐れを誘う。それは、幸福の光に満たされることを知らず消えていく者の悲哀なのだが、子ども心にも何となくその感じが分かるのである。

人間の夢と、その裏にある人間ゆえの毒をディズニーは童話アニメの中に散りばめ、子どもの心の底にある悲しみや恐怖も受け止める内容を潜ませていたのだ。

さらに、スクリーンのめくるめく色彩は、感情を発散させてくれるというセラピー効果も絶大であり、それを可能にしたのはあの驚異的なアニメ技術があったからこそである。

ディズニーは語っている「私たちが自信をもって言える事は1つだけ。それは誰もがかつては、子どもだったという事です。だから企画を立てる時、大人でも子どもでもなく誰もが心の奥に持っている無邪気で汚れを知らない部分に訴えようと考えます」(ディズニーインタビュー「白雪姫」ポニーキャニオン)。

ここでいう無邪気さということの中には、子どもが無防備なほど敏感に感じている恐怖や不安という心理も含まれているはずだ。そうでなければ、ディズニーはあんなに恐い魔女を登場させたりしないでしょう。

 

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