雛祭りの由来・・流し雛から雛壇へ🎎②

「雛祭りの習わし」

(平安時代)随筆や物語には、宮中貴族の子女の間で「ひいな遊び」という、紙で作られた人形を使った「ままごと遊び」が記されています。やがて、人形信仰と「雛遊び」が結び付き、人形は次第に土や木や藁で作られた雛人形へと形を変え、今日のような立派な雛人形になっていきました。

(江戸時代)大都会で雛市が盛んになり、雛人形の贈答も一般的に広まります。「雛遊び」というも新たに「雛祭り」と呼ばれるようになり、女の子の初節句を祝う行事となります。江戸中期には武家や町人の間で段飾りが生まれ、豪華な七段飾りへと発展し、江戸末期には雛壇の数が増え、段飾りも華やかな様式を整え「祭り」らしい飾り物へと変わりました。

雛祭り🎎の源は、女の子に限らず全ての人の祓えの行事でした。人形は呪具(じゅぐ)であったはずで、災難を引き受ける身代わりとして、水に流されるのが本来の姿でした。次第に流すのが惜しいほどの贅沢な人形になり、奥に引っ込めてしまうようになったのです。雛祭りを終えると人形を早く片付ける習わしは、早くしまう程「早く片付く(嫁に行く)」と、結婚に重ねて捉えた説もありますが、身近に置いておくと祓いをすませたことにならず、厄を移した雛人形は、早く災いを遠ざけるという意味が含まれているといえましょう。言い伝えは、かつての禊や祓えの要素を残しつつ、現在に至ります。

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